【性癖】「彼が他の女性としてるのを見たい…」 この気持ちの正体は何?[06/13]

1 逢いみての… ★ 2020/06/13(土) 01:09:12 ID:
相談者:匿名・年齢不明・未婚

 いつも楽しく拝見させていただいてます。

 現在付き合っている彼とは体の相性も今までで一番よく本当に大好きです。先日彼に風俗に行ってきてもらいました。そこで女の子にどんなことをしてもらったか詳しく聞いてから彼としたら、驚くほど興奮し今までにないほどよかったです。

 気が狂いそうなほど嫉妬しているのに、反面とても興奮してしまう自分がいました。と、同時に彼をとても愛していると実感しました。

 彼が本気で他の女性を好きになってしまうのは絶対に嫌ですが、今では彼が他の女性とセックスしているところを目の前で見たいと思う自分がいます。

 友人にこの話をしたところ、そんなのは本当の愛ではないと言われました。本当に愛しているのなら、自分以外の女性と彼が性的な行為をすることを許せるはずがないと言われました。

 もう自分でも分からないのです。彼へのこの気持ちは何なのでしょうか。

森林の回答

 自傷かなぁというのが率直な感想です。精神面に負荷をかけることで、自分の気持ちや彼の存在を確認しようとしているんだと思います。そういう意味で自傷行為の一種だと思いました。

 自傷行為とは、自分の体を自ら傷つけることですが、これは痛いことが好きだからしているわけではありません。痛みを感じることで、自分の体を自分に取り戻したり、自分の存在を確認しようとしています。傷つけないと、自分の体が自分のものでないような喪失感や無力感に苛まれるので、それを回避するためには自傷するしかないと思うからこそするのです。

 要するに、自傷は生きるためにする行為です。傷つけることと生きたいと思うことは矛盾するようですが、死のうと思ってしているわけではないのです。

 ここで一点注意しなければならないのは、自傷行為をしている人は本当は死にたいわけじゃないから死なないんだと決めつけて、放ったらかしても大丈夫だと思ってしまうことです。自傷行為をしない人に比べてする人は、生きたいという気持ちが内面では強いわけですが、それは、死を求めているという意味でもあります。なぜなら、生きていることが一番強く感じられるのは、死を間近に感じた時だからです。

<まだ死んでいない、つまり生きている>という論理で、死を意識することで生を強く感じるわけです。死の直前ギリギリまで攻めれば攻めるほど生が際立ってくるので、力加減をちょっとでも誤れば本当に死んでしまうところにいます。

 あなたがしていることは、彼を他の人に取られ失うという2人の関係の終わり(死)を意識することで、彼と繋がれていること(生)を実感したがっているわけです。やっぱり自傷です。彼を自分のものにしていたいが故の放出です。

 あなたの自傷行為は、NTR(エヌティーアール)というエロのジャンルで、AV界ではスタンダードな性癖の1つです。一番有名な作品は『夫の目の前で、、、』というシリーズです。NTRは、“寝取られ”や“寝取らせ”を意味します。

 昔からある“寝取り”は、NTRとは違います。これは、よそ様のものが羨ましく見える<隣の芝生は青い>理論通りですからノーマルです。

 NTRの醍醐味は、自分の大切なものを奪われるかもしれない、汚されるかもしれないという不安や喪失感、嫉妬が、大切な存在であることを強く認識させてくれるところにあります。

 じゃあ、ねじれているとはいえこれだけ強い思いなのだから愛と言えるんじゃないかと考えがちですが、愛ではないと僕は思います。これは、お友達がそんなのは愛じゃないと否定したのとは違う意味です。お友達が考えているであろう愛は、独占欲や所有欲を愛の本質としています。僕からするとこれは恋です。支配です。

続く

以下ソース
https://joshi-spa.jp/1012745

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2 逢いみての… ★ 2020/06/13(土) 01:09:22 ID:
 あなたが自覚すべき点は、彼が、あなたを喜ばせるために存在している“モノ”になっているところです。相談文を読む限り、彼の心情が読み取れる箇所が1つもありません。あなたは自分の気持ちにばかり意識が向かっていて、彼の気持ちがおざなりになっています。彼はどんな気持ちでいるのしょうか?何を考え、あなたをどう思い、風俗に行かされることを心から楽しんでいるのかそれとも少しは嫌がっているのか?

 あなたのように自分中心なのは愛ではありません。恋です。相手の気持ちを自分の気持ちと同じように大切にできるのが愛です。そこには共感があります。相手への尊重があります。ただし、相手への尊重が過剰になると自己犠牲が過ぎることになり、それはそれで支配です。自分がなくなり“モノ”になっていて、相手に支配されています。

 あなたは彼を大切に思っていますが、それは自由な意志や感情や欲望を持つ“人”としてではなく、単純な構造(内面)で出来ている“モノ”として大切にしています。

 だから、NTRが成立するのです。“寝取られ”も“寝取らせ”も、大切なその人が“モノ”になっているのです。だって、取られるという発想は、人を“モノ”として見るから成立するのです。

 人を“モノ”として見ることを、僕たちは無意識にしています。親子関係でも、友達との間でも、会社においても、人間関係を所有という観点で捉えがちです。僕が言いたいのは、そういった価値観に良い悪いといった判断をすることではなく、ただ単に自覚していくことが必要であるということです。無意識にそういったことをしていると、いつまでたっても愛がわかってきません。

 嫉妬は愛の証拠ではないんです。執着、それは所有という錯覚が生み出すもの。嫉妬、恋の本性が自己中心的だから起こる現象。所有の価値観が根深いほど執着は強まり、嫉妬も然り。世の中には、嫉妬を愛の証拠とする物語や歌がたくさんありますが、そうではないんです。

 僕たちは所有、つまり支配関係の支配側か被支配側のどちらかにいる関係に慣れすぎてきたから、愛がわからないのです。愛がわからなくたっていいんですよ。でも愛の謎を解きたいのは人間の本能に基づくものな気がしますから、そこから逃れられないと僕は感じています。人は本能的に愛を求めています。

 あなたが今している事は間違っていません。でも正しいわけでもありません。ただ、愛ではありません。相手と同じ目線で向き合えていないから。

 まずは、この回答を補助線として、自分と向き合う時間をしっかりとってください。愛の謎は、あなたが自分で解いていくものです。その時には、今の経験が必ず役に立ちます。

 自分のやりたいことを社会的価値観に基づいて否定し、禁止しているお友達より、あなたの方がよっぽど愛の謎を解く道に進んでいます。

 でもそれは偉いことでは無いですからね。あなたは正しくも間違ってもいない、偉くも恥ずかしくもない。ちょっぴり自分と向き合うのが苦手な普通の人です。本当の意味で、自分も彼も大切にできるといいですね。

https://joshi-spa.jp/wp-content/uploads/2019/11/moribayasi191107.jpg
森林原人さん

3 夜更かしなピンクさん 2020/06/13(土) 01:10:52 ID:
シラク

4 夜更かしなピンクさん 2020/06/13(土) 01:16:22 ID:
ワタベーが投稿したのか?

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