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逢いみての… ★
2020/09/08(火) 01:26:37
ID:
https://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/5/4/54f29092.jpg
トルコに伝わる助け合いの風習「サダカの石」がコロナで復活
新型コロナウイルスによるパンデミックは世界各国の日常をことごとく変えていった。トルコも例外ではない。商店街はドアを閉ざし、経済活動もストップ。人々の生活が困窮するのは目に見えていた。
だがトルコには古くから伝わる助け合いの風習がある。街のいたるところに設置されている「サダカの石」は、石にあけられた穴の中に、金銭的に余裕のある人が、お金を置いていき、困っている人がそのお金をもらっていくためのものだ。
この助け合いの精神が、今、再び復活の兆しを見せているという。
イスタンブール北部にあるデデマン・モスク。いつもなら金曜日には、集団礼拝に訪れる人たちのたくさんの靴が並ぶ。彼らはここで靴を脱いでから、大切なイスラムの祈りを捧げるために建物の中に入るのだ。
今年3月半ば、トルコ政府はコロナの感染拡大を止めるため、集団礼拝を中止。大量の靴が並ぶこともなくなった。若きイマーム(礼拝の指導者)であるアブドゥルサメット・チャキール氏は、地域の人たちが困窮することがわかっていた。
「モスクが閉鎖されたとき、靴箱のラックを庭に引きずり出してきれいにし、そこに買ってきた食料品や生活雑貨品などを置きました」チャキール氏は語る。「困っているのではないかと思われる近所の人に声をかけて、好きなものを自由に持って行ってもらったのです」
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1248614812898062336/pu/vid/1280x720/0oFbgIhW5N__Y5bm.mp4
アブロゥルサメット・チャキール氏と、デデマン・モスクに設置された臨時フードバンク
チャキールのこの行為のことは、たちまち広まり、困窮している人が集まってきた。国中の寄贈者やマスコミ、海外からも注目が集まった。
だが、コロナ禍の最中に始まったように思われるこの助け合いのアイデアは、実はトルコでは昔からの伝統だった。彼らには、サダカの石(サダカ・タシュ)と呼ばれる助け合いの精神が根付いていたのだ。
「サダカ」とは個人が善意で行う喜捨を指す言葉である。サダカの石は、石でできた穴や柱で、金銭的にまだ余裕のある人がそこにお金を置いていき、困っている人はそのお金をいただいていくためのものだ。
自分に余裕があるときはお金を入れ、余裕のない時はお金をもらう互助の精神により成り立っている。
サダカの風習がいつ始まったのかははっきりしないが、1300年頃、アナトリア(現在のトルコ)に起こったオスマントルコ時代にさかのぼるのではないかと言われている。
オスマントルコは、その後勢力の大きな帝国へと発展し、第一次大戦後に崩壊した。こうした「サダカの石」はエルサレム、チュニス、オフリトなど、かつてオスマントルコ帝国だった場所で見られる。
オスマントルコ人は、石を効果的に使う才能があったようだ。馬に乗る時の踏み台にしたベニク・タシュ、運搬人が重たい積み荷を一時的に置いて休むためのハマル・タシュ、落とし物をさりげなく置いておくための壁龕、イティッキ・タシュなど、困っている人を助けるためのさまざまなタイプの石が記録に残っている。
続く
以下ソース
http://karapaia.com/archives/52294383.html
★関連板★
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新型コロナウイルスによるパンデミックは世界各国の日常をことごとく変えていった。トルコも例外ではない。商店街はドアを閉ざし、経済活動もストップ。人々の生活が困窮するのは目に見えていた。
だがトルコには古くから伝わる助け合いの風習がある。街のいたるところに設置されている「サダカの石」は、石にあけられた穴の中に、金銭的に余裕のある人が、お金を置いていき、困っている人がそのお金をもらっていくためのものだ。
この助け合いの精神が、今、再び復活の兆しを見せているという。
イスタンブール北部にあるデデマン・モスク。いつもなら金曜日には、集団礼拝に訪れる人たちのたくさんの靴が並ぶ。彼らはここで靴を脱いでから、大切なイスラムの祈りを捧げるために建物の中に入るのだ。
今年3月半ば、トルコ政府はコロナの感染拡大を止めるため、集団礼拝を中止。大量の靴が並ぶこともなくなった。若きイマーム(礼拝の指導者)であるアブドゥルサメット・チャキール氏は、地域の人たちが困窮することがわかっていた。
「モスクが閉鎖されたとき、靴箱のラックを庭に引きずり出してきれいにし、そこに買ってきた食料品や生活雑貨品などを置きました」チャキール氏は語る。「困っているのではないかと思われる近所の人に声をかけて、好きなものを自由に持って行ってもらったのです」
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チャキールのこの行為のことは、たちまち広まり、困窮している人が集まってきた。国中の寄贈者やマスコミ、海外からも注目が集まった。
だが、コロナ禍の最中に始まったように思われるこの助け合いのアイデアは、実はトルコでは昔からの伝統だった。彼らには、サダカの石(サダカ・タシュ)と呼ばれる助け合いの精神が根付いていたのだ。
「サダカ」とは個人が善意で行う喜捨を指す言葉である。サダカの石は、石でできた穴や柱で、金銭的にまだ余裕のある人がそこにお金を置いていき、困っている人はそのお金をいただいていくためのものだ。
自分に余裕があるときはお金を入れ、余裕のない時はお金をもらう互助の精神により成り立っている。
サダカの風習がいつ始まったのかははっきりしないが、1300年頃、アナトリア(現在のトルコ)に起こったオスマントルコ時代にさかのぼるのではないかと言われている。
オスマントルコは、その後勢力の大きな帝国へと発展し、第一次大戦後に崩壊した。こうした「サダカの石」はエルサレム、チュニス、オフリトなど、かつてオスマントルコ帝国だった場所で見られる。
オスマントルコ人は、石を効果的に使う才能があったようだ。馬に乗る時の踏み台にしたベニク・タシュ、運搬人が重たい積み荷を一時的に置いて休むためのハマル・タシュ、落とし物をさりげなく置いておくための壁龕、イティッキ・タシュなど、困っている人を助けるためのさまざまなタイプの石が記録に残っている。
続く
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